Wednesday, June 30, 2010

境界経済人のAufheben Journal

境界経済人のAufheben Journal: "●社会の不安は今頂点に達しているのかもしれない。国や自治体の財政問題、世界的な金融不安、年齢を問わない失業の問題など、どれひとつとして解決の糸口が見えないのが現代の日本である。
●無駄を切り詰めたり、透明で公平なプロセスばかりに関心のある政治は形式主義的で実体がない。企業は世界から批判された村社会を捨て、アリ地獄のような資本主義の海に飲み込まれているのみである。人は生き残るために善をかなぐり捨て、他人の着物を剥ぎ取って生きようとする夜盗或いは野良犬のような精神状態にある。
●ただ興味深い皮肉もある。経済生活面からいえば終戦後に比べれば圧倒的に裕福であるということだ。戦争で夫を失って街娼とならざるを得ない婦人もいないし、店先のパンを盗まなければ生き残れい戦争孤児の姿もない。現代の日本人が経済面で苦しんでいるのは、所詮住宅ローンや老後の資金不足である。所詮という言い方は適切でないかもしれないが、見方を変えてしまえば明日路上で屍になるというわけではないということだ。”所詮”というのは、人間の価値観の問題だということだ。
●考えてみれば日本はバブル時代が最盛期で、その後ひたすら下り坂である。政治や経済の運営にあたった人々も結果的に何も生み出さず、社会全体が下り坂になっている。白系ロシア人貴族の亡命生活、維新後の幕臣の下町暮らしのように、ほうっておいても悲観論が滲み出す土壌にある。何とかしようにもそう簡単に抜け出せる袋小路ではない。
●そういう下り坂の時代が今の日本の現状だと思う。マクロ経済の観点から言えば、悲観論だけが台頭する世相が悪であるということなのだが、かといって突然明るく消費をしましょうなどといってみてもはじまらない。少子化の問題もまた然りである。人にとって必要な何かが欠けた議論である。人が前向きに投資をしていこうとするときにあるのは、心の中にある希望や夢である。上り坂でバブリーに見る夢とは違うのかもしれないが、下り坂なりにささやかに見る夢のようなものが必要なのである。
●とはいえ、現実は常に過酷である。希望どころか、絶望的である状況の方が多い。下っても、下っても、底が見えない状況である。ただ、どこまで下っても底が見えないなら、旅路を急ぐ必要もないし、路傍でタバコでも一本やってみればいい。、場合によって立ち寄った村で畑作業に精を出して見入るのもいい。やがて小さな村にいるかわいい娘と結婚し所帯を持とうと思うこともある。小さく見えるかもしれないが、その小さな世界の中にも夢や希望があり、モノとモノを結びつける物語がある。
●現代日本の政治や経済がいまだ長いトンネルの中にあるのなら、下り坂なりの物語を生み出し、その中に自分を重ね合わせていくという価値観があってもいい。幸せに生きるという真実は、逆にそういう生活の中にこそあるのではないかと人が考えていこうとすることは、至極まっとうで健全な光景であると思う。

- 已使用 Google 工具列寄出"

要看這篇好像需要很努力的看日文一下。 8)

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